「幸せの絶対数」







西暦20XX年。
世界中のすみずみまでサイバー・ネットワークが張り巡らされ、
国家レベルの大事業から日常生活のありとあらゆることまでコンピューターで管理されている時代。
電子機器の中にある世界を電脳世界サイバーワールドといい、また世界中の電脳世界を繋いだものをインターネットと呼ぶ。
ほとんどの人間がPErsonalTerminal――――略してPETという個人の携帯情報端末を持ち、
その中にいる擬似人格プログラムは「ネットナビ」と呼ばれ、
それらはPET、ひいてはネットナビの持ち主であるオペレーターによって如何様にもカスタマイズ(改造)することが可能である。
ネットナビを電脳世界に送り込むことを“トランスミッション”、
ナビ同士を戦わせることは“ネットバトル”と称し、そのネットバトルは通信格闘ゲームのように盛んに行われていた。







世界中がインターネットでつながれたことにより、その重要性を鑑みて北の大国・シャーロが
自国の軍のなかに「ネットワーク部隊」なるものを創設したのはもう新しくない話。
その一中隊にあたる第十三部隊の隊長に当時まだ12歳であったライカが抜擢されたのも、もう1年も前の話だ。







ひんやりとした空気は窓を閉めていてもしみこんでくる。
寝巻きを脱ぎ素肌をさらすことで直接あたる冷気は、寝起きでぼうっとしている頭には寧ろ心地いい。





「今日のスケジュールは」





部屋にあるクローゼットの扉を開き、軍服の袖に腕を通しながら、机上の充電器に位置するPETから聞こえてくる声に耳を傾ける。
…とは言え、実際ほとんど右から左。
いくら聞いたのは自分とは言え、昨日も確認したし、そんな急に予定が変わるわけでもない。
ただの日課のようなものだ。
ちなみに今日の予定は午前に隊の訓練、午後から任務。





『位置はB−α1地区、ネットテロ活動を繰り返した標的番号a217の拘束です』

「拘束、か」

『場合によっては消去(デリート)の許可も出ております』





プログラムであるネットナビにとって、デリートは死を意味する。
ネットワーク部隊は銃弾飛び交う実戦ではなく、ネットバトルが中心となるため、犠牲となるのは主にネットナビだ。
勿論それはライカのナビであるサーチマンも例に漏れず、寧ろ隊長のナビであるが故に隊の前に立って指揮することが多い。
だが、彼がそれに拒否を示したことはない。
また、それに対し、ライカが「なぜ」と問うような愚かしい真似もしない。
聞くだけ無駄だとわかっている。
彼にそれを問うことは、ライカが自身に「なぜ自分は軍人をやっているのか」と問うことに等しい。
だから、聞く必要などない。





しかし、それでも疑問に思うときがある。
それはふとした瞬間に首をもたげ、一瞬だけだがライカから全身の感覚を奪っていく。
体中が冷えるような、何かに怯えているような、奇妙な錯覚。





ネットナビ。
ナビだから。どんなに人に似てはいても、所詮プログラムだから。
そういう理由で身体を、機能を、『己』というものを、なんの躊躇もなくいじられ弄ばれるというのは一体どんな気分なのだろう。



…想像してすぐさま、耐えられない、と結論付けた。
特別なつながりがあるならまだしも、PETという媒介がなければ一生関わりあうこともなかったであろう赤の他人に、自分というものを弄ばれる。
ひどく屈辱的な行為に思えた。
けれども、自分とて今までサーチマンをカスタマイズすることが少なからずあったのは事実。
そしてそれに最初はたいした疑問を抱いていなかったことも、また事実。
彼はそれをどんな思いで甘受していたのだろうか。





プログラム。0と1。軍事用ネットナビ。
人間のために生まれ、人間のために働き、人間のために死ぬ。
自我を持つことは許されず、だがそれは軍に属するものならば誰とて等しく強制されること。
否、強制されずとも自ずとそういう風に体が慣れていく。
命令遂行に、女々しい感傷など邪魔なだけだから。
そういう風に理解はしているが、それでも、
人間の都合で生み出され、人間の都合で身体を弄られ、人間の都合で死んでいく――――
そんな生き方に何の意味がある?
ライカはまだ人間だからいい。命令する立場だから。
だが――――ネットナビは、どうだ?
人の便宜だけを考えて生み出されたプログラム。
逆らいもせず、ただ常に『死』と背中合わせの任務をこなしていく日々。

そのたび、疑問に思う。







「――――お前の幸せとは、何だ?」











***











ライカとサーチマンの間に横たわる基本的な関係は主従。
オペレーターとナビ。主とそれに仕える者。
軍用ナビであるが故にサーチマンの感情の起伏はほぼ皆無に等しく、寧ろ『感情』なるものが存在するかどうかさえも疑わしかったのだが、
この時ばかりはその存在を認めてもいいと密かに思った。
おそらく問われた途端、体に走った電流の名は「驚愕」。
しかし返答は滞りなく。







『貴方のお傍にいられることです』







即答。
肩越しにしか今まで視線をくれなかったライカの頬が微かに強張り、瞳が驚きに見開かれた。
あとはブーツを履くだけという状態のまま、ライカは焦ったように振り返り、両手を机についてPETの中のサーチマンを凝視する。
パチパチと瞳を瞬かせる様はまるで幼子だ。
軍人として感情を表に出すなと士官学校時代からきつく言い渡されており、またその習慣が骨の髄まで身に染みているはずのライカだったが、
今はそれすらも捨て去ったかの如く、ただ呆然と瞬きを繰り返す。





「…サーチマン」

『はい』

「その…、それは、ナビとしての義務感からか?」

『いいえ』

「では、お前自身の意思だと?」

『はい』





よどみなく答えを返すたびに、ライカの瞳は困惑に揺れる。
もともと自分の意志などなかったはずの軍用ナビが、
“ナビ”としてではなく“サーチマン”として主に想いを告げるなど、本来はありえない。
きっとどこかに致命的なバグが生じているのだ。
…デリートされるだろうか。
それとも、初期化して、全ての記憶をなくした“新たなサーチマン”が生まれ、ライカの補佐をするのだろうか。



どちらでもよかった。
彼のためになるなら、デリートされようと記憶が消されようと、どんなことでも甘受する。
彼に会い、彼のために生きるのだと初めて心の底から感じたとき、そう決意した。
ずっと、そう思っていた。
勿論、今も、これからも。



ライカはゆっくりと瞼を下ろし、何かを確かめるように言葉を紡ぐ。





「俺の傍にいられるのが、お前にとっての幸せだと」

『はい』

「ナビとしてではなく、お前自身の考えとして、そう思うのか」

『はい』

「…それは、絶対か?」

『我がシャーロ軍の名に誓って』







「――――上出来」





ゆるりと瞬いて目を開けたライカの瞳は、どこか嬉しそうに輝いていた。
口元には、微笑。
くすくすと薄く開いた唇から楽しげな笑い声がこぼれ落ちる。
何がそんなに楽しいのか笑ったままのライカは、ストンとベッドへ後ろ向きに倒れこみ、その体勢でPETを見返してきた。
空色の髪が微かに頬にかかって、微笑を浮かべた彼の容姿を少しばかり幼く見せる。





「全く、無駄に気苦労をかけさせてくれるな、馬鹿者」

『は?…、はい、申し訳ありませんでした』

「謝ってすむか。本当に、お前って奴は…」





くすりと綻んだ口の両端を持ち上げたライカは、口元に手を当ててそれを隠し、反動をつけて起き上がると、
手早くブーツを履いてその留め金をパチンととめた。
PETの脇においてあった白い手袋を手にはめ、右手でPETを掴む。
手に馴染んだ感触と重み。そのまま腰の定位置へ。
左腕にコートをかけるようにして、右腕で帽子をかぶりつつ、ライカは再度笑みをもらす。





「…よし、行くか。サーチマン」

『はい、ライカ様』











***











例え、この身を勝手気ままにいじられようと。
例え、この身が電脳世界の塵と消えようと。
例え、かの身に命令することが苦痛に感じられようと。
例え、かの身に寄せるものがただの“信頼”ですまされなくなろうと。





想うことはただひとつ。









“一緒にいることが、幸せ。”









それは二人が存在する限り、永遠不滅の真理。







Fin.





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